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広島地方裁判所呉支部 昭和29年(わ)402号 判決 1958年5月16日

被告人 山野秀芳 外一名

主文

被告人山野秀芳を懲役四月に、被告人白昌基を懲役四月及び罰金壱万円に各処する。

但し被告人白昌基に対しては本裁判確定の日より弐年間右懲役刑の執行を猶予する。

被告人白昌基に於て右罰金を完納することができないときは金弐百五拾円を壱日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は全部被告人山野秀芳の負担とする。

理由

(事実)

第一、被告人山野秀芳は漁業の傍ら海没物件等の引揚げを業としておるものであるが株式会社舞鶴工業所代表者南千秋が昭和二十八年五月三十一日第七管区海上保安本部より大分湾北緯三三度一四・六五分東経一三一度三五・四分の地点を中心として二・四海里の半径内の海域に於いてその海域に沈没する爆薬兵器及び弾薬類の引揚げについて「引揚げた海没兵器弾薬類は速かに指定の解撤工場に搬入し指定の係官立会の上解撤業者に引渡すこと、解撤されたスクラツプは検査の後代金を納入したとき初めてその所有権を取得すること。それ迄は引揚げ兵器弾薬について引揚業者は国の代理占有者として管理占有すべきこと」等を条件としてその許可を受けていた処その引揚げを暫く休止していたため之を聞知した阿佐尾登に於て右海域に於ける海没兵器弾薬類の引揚げを企図し同人は右南千秋の承諾を得た上前記第七管区海上保安本部に対しその引揚許可を申請し昭和二十九年二月二十七日右海域に於て前記と同一条件の許に引揚実施者として海没爆薬兵器及び弾薬類の引揚許可を得たので被告人山野秀芳は右阿佐尾登と共同で右海域に於て海没兵器弾薬類の引揚げに従事するに至つたのであるが引揚経費の支払に窮したため昭和二十九年三月二十二日頃迄に前記海域より引揚げ国のため業務上保管していた海没弾薬である二十五粍機銃弾二叺二十九貫五百匁、二十粍機銃弾十三叺百九十五貫、小銃弾八叺百二十二貫五百匁を他に売却して右経費の支払に当てるため同年同月二十三日擅に之を引揚現場である大分湾の作業船内より米原若一所有の貫力丸に積み込み広島方面に持ち去り横領し

第二、被告人白昌基は広島市宇品町海岸通り埋立地に於て金屑商を営んでおるものであるが昭和二十九年三月二十五日右宇品町海岸通りの店舗に於て前記被告人山野秀芳の申出により前記二十五粍機銃弾二叺二十九貫五百匁、二十粍機銃弾十三叺百九十五貫、小銃弾八叺百二十二貫五百匁は被告人山野秀芳の横領した賍物であることの情を知りながら即時之を同人より預り右店舗に保管し以つて賍物を寄蔵し

たものである。

(証拠)

被告人等は本件物件は旧日本軍部の所有していた爆薬兵器又は弾薬類であるが終戦後日本政府より連合国に引渡されその引渡しと同時にその所有権は連合国に移転されたところ連合国はその兵器弾薬としての機能を毀滅するため之を海域に投棄処理したものであるから之によりその所有権は放棄され無主物となつたもので日本政府の所有物でないと主張するのである。そこで先づこの点を考えてみるに証人山内一夫に対する昭和三十一年四月十七日附尋問調書、証人林原正三に対する昭和三十一年四月十七日附尋問調書、証人山下卓二に対する尋問調書、証人牧謙造に対する尋問調書、証人今井定人に対する尋問調書、司法警察員に対する被告人山野秀芳の昭和二十九年三月二十七日附供述調書及び被告人白昌基の昭和二十九年三月二十六日附任意提出書を綜合すれば本件物件はもと旧日本軍の所有する機銃弾又は小銃弾であつて終戦後間もなく爆薬兵器又は弾薬類として連合国最高司令官の一九四五年(昭和二十年)九月二日附指令第一号及び同月三日附指令第二号により日本政府より米占領軍に引き渡されたものであるが同占領軍は連合国最高指令官の指令により戦争若しくはこれに類する行動に本来若しくは専ら使用せられ且つ平時の民需用に適せざる一切の装備を破壊する目的を以つて(連合国最高司令官同月二十四日附日本軍から受領し又は受領すべき資材需品及び装備と題する覚書第二項)昭和二十年十月頃から昭和二十一年三月頃迄の間に自ら海中に投棄したものであること、従つてその所有権はこれらの戦争用具が連合国最高指令官の指令により米占領軍に引渡されたときに日本政府より剥奪され米占領軍に移転し更に破壊すなわち廃棄の目的を以つて米占領軍が海中に投棄した時何人からも放棄せられて無主の動産となつた事実が認められるのである。しかしながら証人池田法人に対する昭和三十一年四月十六日附尋問調書、証人坂本勁介に対する昭和三十一年四月十六日附尋問調書、証人山内一夫に対する昭和三十二年十二月二十日附尋問調書、証人高辻正己に対する昭和三十二年十二月二十日附尋問調書、証人林原正三に対する昭和三十一年四月十七日附及び昭和三十二年十二月二十日附各尋問調書、証人神頭亨に対する昭和三十二年十二月二十日附尋問調書、証人南千秋に対する昭和三十年八月十日附尋問調書、検察官に対する阿佐尾登の(昭和二十九年四月十七日附、同年同月十九日附、同年九月二十七日附、同年十一月二十八日附)供述調書各謄本、検察官に対する南千秋の(昭和二十九年四月十六日附、同年十一月二十七日附)供述調書の各謄本、検察官に対する初田行雄の昭和二十九年十一月三十日附供述調書の謄本、司法警察員に対する被告人山野秀芳の昭和二十九年三月二十七日附供述調書(但し引揚弾薬を被告人白昌基に売つた旨の供述記載部分を除く)及び昭和二十九年二月二十七日附物品売払契約書の写を綜合すればその後昭和二十五年二月六日附の連合国最高司令官覚書(戦時中の作戦により生ずる爆発物及び爆薬兵器の処理に関する件)を以つて連合国最高司令官より日本政府に対し「終戦時に於ける日本本土、領海及び日本に対する海路に於いて戦時中若しくは戦前に製造され且つ現存する一切の爆発物、爆薬兵器並びにその部分の破壊及び(又は)他の認められた処理について責任を有する」旨を指令したので日本政府は右覚書並びに昭和二十年九月二十四日附連合国最高司令官覚書(日本軍から受領し又は受領すべき資材、需品及び装備)第二項の「米占領軍各司令官は戦争若しくは之に類する行動に本来若しくは専ら使用され且つ平時の民需用に適せざる一切の装備を破壊することを指令せられたり。占領軍の作戦上の必要が満たされたる後に於て日本軍の装備及び需品にして戦争又は之に類する行動に本来必要ならざるものは破壊されたる戦争用具の残屑をも含め日本帝国政府に返還せらるべきものとす」との趣旨からみて前記破壊の目的を以つて海中に投棄された爆薬兵器又は弾薬類は破壊された戦争用具の残屑として既に日本政府に返還されたものと解し(無主物動産について返還と云うことはあり得ないので返還されたと解することは誤りであるが)之が処理に関し昭和二十五年十一月六日予算、決算及び会計令臨時特例の一部を変更しその第五条の一五として海域にある爆薬兵器若しくは弾薬又はその部分品の引揚を政府から許可された者に対しそのくず化を条件として当該物件をくずとして売り払うときは随意契約によることができる旨の一項を加えてその所管官庁である海上保安庁をして随意契約によつて之を売り払い処理せしむることとしたこと、そこで海上保安庁に於ては右特例に基き海底に投棄された弾薬兵器等を処理するに当り爆発物引揚申請者(引揚業者)との間に次のような随意契約を結び右引揚申請者(引揚業者)に之が引揚を許可して処理するに至つたのである。即ち(一)引揚の許可を受けた引揚申請者(引揚業者)に於て引揚を開始しようとするときは一定の資格を有する作業技術者を定め海上保安庁長官の許可を受けなければならない(二)弾薬兵器を引揚げた時は速に指定の解撤工場に搬入し指定係官立会の上解撤業者に引渡すこと(三)解撤されたスクラツプは検査の後代金を納付したとき初めてその所有権が引揚申請者(引揚業者)に移転すること等を引揚申請者(引揚業者)との間に約したのである。従つて引揚業者は右契約に従い代金を納付して解撤後のスクラツプを引き取る迄は引揚弾薬兵器についての所有権を取得することなくそれ迄は引揚業者は単に引揚弾薬兵器は引揚げの許可を与えた日本政府の所有と信じ日本政府のため代理占有者として占有しておるに過ぎないことが認められるのである。してみれば本件弾薬はたとえ無主物でありとするも引揚業者によつて引揚げられると同時に無主物先占により本人たる日本政府がその所有権を取得したものと云うべきである。

(中略)

(適条)(略)

仍て主文のとおり判決する。

(裁判官 藤井寛)

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